石を追う男たち
〜まだ見ぬ何かを求めて〜

著者:高2E 嶽本 傑



 地質班の活動といえば、普段は主に模型製作にいそしんでいる(はずである)。
しかしながら、本来の活動、且つ部員たちがもっとも楽しみにしているのは、なんと言っても化石採集だろう。それは未知との遭遇そのものであり、また同時に 新たなる発見でもある。とくに、去年・今年は新たな地を開拓せむといろいろなところに行った。去年の文化祭後の化石採集は、11月に行った滋賀県は多賀町 にある権現谷(ごんげんだに)をはじめ、2月には冬恒例となった金生山、春休みには西日本まで遠征し、5月には新入生歓迎会ともなる瑞浪へと赴いた。 こ の記録は、化石を捜し求める漢たちの壮大なる冒険記である。
(尚、一部脚色が濃いところが御座いますが、気に留めずお読み進め下さい。)



権現谷 編


時は2003年11月、我らは名古屋駅へと集合し、化石採集においては初舞台である滋賀県へと向かおうとしていた。
参加者は、発案者である馬場殿を始め、部長、私、秋山氏に福谷氏、以下余名である。
 さて、この権現谷というところは、主に石灰岩質の山々に囲まれた深い渓谷である。時代は古生代・ペルム紀。もろもろの情報によれば、そこはどでかいウミ ユリ、粒の大きなフズリナ、四放サンゴなどの天国で、運がよければみつばむしまで見つかってしまうという、それはそれは魅力的というほかにないスバラシイ ところに思えたのである。が、しかし。
そこはとんでもない田舎の中の田舎で、交通においては全く肯定するところがないスバラシイところでもあったことを後から知ることになり、結局JR東海道線 で彦根まで行った後はタクシーにお世話になるはめだった。
 さて、到着した第一印象はとにかく「寒い」ということだ。11月とはいえ、名古屋はまだ気温が20度弱で落ち着いている。それに対してここはせせらぎの そばということもあろうが、湿度が極端に高くて、ひんやりした空気である。吐く息も白い。上着をもう一枚持ってくればよかったと悔いるが、もう遅い。歩く ことにした。

この日は何人か同業者が来ていたようで、時折カーンカーンと例の音がする。
そこらを見ても掘れそうな地層がみつからなかったので、われわれはとにかく奥地へと踏み込むことにした。 行く途中でさまざまな岩にタガネをあててぶった たいてみたが、とてもくずせない。硬すぎる。柳谷といい勝負か、それよりも硬い石だった。「なんちゅう硬さやねん!」とツッコミをいれるが、しかたがない のでもっと奥地へと踏み込むことにした。

 この権現谷というところは非常に静かなところで、同業者のハムマーの音や車から遠ざかれば、山独特の静けさと鳥の声のみが耳に入るのである。同じ日本と は思えないほどに落ち着いた風景。出発点には現地人の住居が数件あったが、子供はどこの学校へ行くのか、一体どこへ買い物に行くのか非常に気になるところ だ。そのような静かなところなので、どこか神々しい雰囲気がただよってるなぁと思ったのだが。それもそのはずだった。

正体はなんだかよくわからないが、「大菩薩像」なるご神体がいくぶんか踏み込んだ奥地に眠っていたのである。
それはあるカーブにさしかかったときだった。先頭を歩いていていた私は何か赤い旗のようなものを見つけたのだ。そこには何かむずかしい漢字がたくさん書い てある。その異変を私はすぐに後続の由井氏ほか余名に伝えた。
そこから階段があり、道路から水の干上がった川におりれるようになっていたので早速おりてみた。と、傾斜35度ほどの急な斜面にロープがかけてあり、登れ るようになっていたので、登ってみるとそこには!!
神々しい石像がお供えと共にわれわれを静かに迎えてくれた。その御神体に祈りをささげ、大菩薩像を後にした。

 さて、化石だが、これまで全部員ひとつも獲得していない。どうやらタクシーの運ちゃんが反地質班同盟の一意だったらしい。とりかえせない失態である。フ ズリナを含んだ石はところどころで見つかるのだが、みなさんフズリナは金生山にてイヤという程とってらっしゃるので、誰も興味を示さない。 日も暮れてき ていよいよ帰還予定時刻の16時が近づいてくる。私はあせった。なにしろ何もとっていないのだ。結局、出発地に程近いがけを漁ること30分、転石をいくつ か拾って現場を後にすることにした。

帰りはなにもトラブルなく帰れることを期待していたが、そうは化石採集の御神が許さない(大菩薩像の御神体を汚したからだろうか)。帰路の途中、タクシー がドブの近くで止まったかと思うと、中2(当時)のY氏がよろよろと運ちゃんに支えられながら出てきて、その場で大嘔吐した。後から聞いた話によれば、な んでも昼ごはんのカップ麺を作るため持参した「お湯」か増田の発泡スチロール(?)にあたったらしい。そういえば帰り際トイレにこもっていたのはそういう わけだったのか、と今気付く。彦根駅についてからもY氏はすこぶる調子が悪く、私があげた腹の薬も一緒に戻してしまった。帰りの東海道線ではかろうじて食 道をくいとめていたようだが、Y氏はその後家に帰り、トイレに籠城(ろうじょう)していたらしい。全く難儀な身分である。健康管理はしっかりしていただき たいところだ。

もう10ヶ月も前のことなのであいまいだが、権現谷での出来事はこんなところである。結論としては、「むやみに情報を信ずるべからず」なことがよくわかっ た。最新のIT技術を駆使して調べ上げた資料も何の役にも立ちはしなかった。全く何も取れなかったのである。重い思いをして持って帰ってきた転石もすっか りゴミと化し、我が家の庭に放られている。権現谷は結局、自然は美しいものの化石は取れないので、紅葉見物に行くこと以外はお勧めしない次第だ。ま、新た なる地をどんどん切り開く精神は忘れずに・・・。


淡路島 編


淡路島はたっくさんのアンモナイトさんと出会える、チョベリグな島である。ということを馬場殿がいっていた。ちょうど春はどこに行くか迷っていた、1月の 終りのことである。それを聞いて黙っていられるはずがない。行くしかないだろう。というわけで、今年の春は淡路島に決定!ということになった。
計画の段階で困ったことには淡路にはユースホステルがないのだ。そこで安い民宿を探した。その結果、民宿はぎわらさんという所とメールで交渉した結果、素 泊まり一泊3000円で面倒を見てもらえることになった。ありがたいことである。化石採集地も書籍からはもちろん、先進のIT技術を最大限に駆使し情報収 集に全力を注いだ。こうして出発への準備はしり込みしつつも着々と進んでいったのである。


1日目

さて当日。われわれ地質班陣(私、部長、馬場殿、由井氏、AU氏、福谷氏、大二郎)は名古屋駅・中央改札に集合した。
まず、名古屋駅から米原行きに乗車、米原まで1時間の道のりである。車内では音楽鑑賞などをして過ごす。米原に着くと、すぐに姫路行き快速に乗り換える。 つもりだったが、なにやら事故があったとかで電車が止まっている。ということで姫路に着くまで2時間半の間席をとってくつろぐ野望が打ち砕かれた。電車は すでに満員だったからである。しかたないが、立つことにした。しかし、ここで逆井氏がパイプイスならぬポータブルなワイヤイス(?)を取り出し、それに腰 掛けたのだ。抜け駆けに怒りに打ち震えていると、電車が動き出した。これで一安心だ。 その後も電車は進み、京都駅でドッと人が降りたのですばやく席を取 り舞浜までくつろぐことにする。 12時過ぎ頃、舞浜着。ここから淡路島行きの高速バスがでている。舞浜駅直上にあるスーパーにて昼飯、晩飯、翌日の朝 飯、飲み物などをみなさん大量に購入。きたる栄養不足に備えた。1時間ほどして、バスが来た。バスは案外にも結構込んでいて、われら7人が乗るには少々狭 すぎる。乗車の際、幾度も他の乗客にぶつかった。「すみません」と何度言ったか正確に記憶していない。なんとかかろうじて全員バスに乗り込みバスは発車し た。
 40分の迫り来る荷物との戦いが終わると、淡路島、洲本高速バスセンターに到着。洲本市は淡路島の中で中心となる都市であり、でっかいジャスコや、これ またでかい図書館ほかいろいろな施設があり、遠く旅にきた我々にとってはとても便利であった。
そこから由良福祉センター行きの路線バスに15分ほど揺られ、土生川というバス停で降りればもう民宿はぎわらは目の前である。なにしろ50メートルほどし かはなれていないのだ。バス停から徒歩40秒、ついに宿に到着した。 宿に入り女将さんに来訪の意を告げ、早速部屋に入る。かなり広い部屋でTVもあり、 いつも松井YHの狭い部屋で合宿している我々にとってはとてもスバラシイ部屋であった。朝9時に名古屋駅を出て3時半すぎについたので、6時間半もかかっ たことになるが、いつぞやよりはましである。 とりあえず今日はあくまで移動日であって採集予定はないので、のんびり気のままにすごすことにした。海辺に 行って、貝などを拾って遊んだりもした。このあいだにAU氏らは近くにコンビニなどがないか宿周辺を散策していたようであった(結果、徒歩25分ほどの地 点にコンビニを発見したそうな)。買っておいた晩飯を食べ、TV鑑賞などをする。午後8時ころ風呂から出てくると、同室である部長と馬場殿がすでに就寝体 制に入っていたので、深夜だと割り切り寝ることにした。


2日目

 朝7時。テレビの音がする。目覚めると、すでに逆井氏、馬場殿は起きていた。朝飯に昨日舞浜で買ってきた揚げ出し豆腐を食べ、天気予報を確認。なんと、 今日は採集初日にもかかわらず、のっけから雨ということだ。どうも我々には運が向いていないようだ。
しかたがない。宿でごろごろしているわけにもいかないので、洲本までバスで赴き、例の巨大ジャスコを散策することに決定。さっそく出発準備をした。宿の大 女将に事の次第を告げ、宿を出た。ここからバスに乗り、目的地まで向かうのだ。バス代は片道390円とやたら高い。しかし自転車もないので、我々はバスで 向かうより他に手段がないのである。
そんなこんなで、20分後洲本バスセンターについた。そこから雨の中ダッシュでジャスコに入る。思ったとおりものすごく広い。でっかい本屋があったので、 そこで立ち読みすることにした。由井氏ほか余命は、中にあったゲーセンにこもる。その本屋で1時間ほど立ち読みした後、そのすぐ近くにあったうどん屋で昼 食をとることにした。昼食をとった後また数時間立ち読みをした後帰ることになり、「Windowsレジストリ入門」というよさげな本を買って読むことに。 今日の分の夕食を買って帰ることにした。 何の特徴もない一日を過ごし、時間を無意義としかいえないような消費の仕方をしたことを悔いるが、天候の都合上 仕方ないことだ。その日は飯を食った後風呂に入ってすぐ寝た。


3日目

今日は晴れだ。やっと採集にいけるのである。朝早くから早速準備を開始し、来るべき大漁に備えた。今日行く予定のところは阿那賀という場所で、西淡町とい う町名の通り淡路島の西端に位置する。書籍やわーるどわいどうぇっぶを用いて調べたところ、プラビトセラスやポリプチコセラスほか異形(う○こ形)アンモ ちゃん(詳しくは機関紙No.33「アンモナイト講座」参照)の天国だというはなしであった。

阿那賀周辺図
あなが周辺つまり地層は中生代ころの地層が一様に広がっているということか。権現谷の悪夢を繰り返さないためにも、我々は絶対に戦果をあ げなくてはならないのであって、決して戦禍を被ってはならない。という固い決心を胸に、土生川バス停へと向かう一行。
洲本バスセンターめざしバスは発車した。バスセンターの受付(事務所?)のおっちゃんに
「阿那賀というところにはどのバスにのっていくんですか?」
と質問すると、いろいろ調べてくれた。

                           
その後、返ってきたのは一番危惧していた答えだった。
「う〜ん、そこにはバスは出てないね〜・・・。」     ・・・・ハァ? (゜Д゜ )
まぁ、予想してはいたがまさか現実のものになろうとは・・。というわけでバスは使えないこととなった。
こうなっては奥の手、タクシーを用いるほかはない。 料金が高くはなるが、みんなで何台かに分乗して割り勘にすれば払えない額にはならないだろう。 というわけで、タクシー屋さんを探した。と、すぐに見つ かった。バスセンターから徒歩1分ほどのところに洲本タクシーを発見。早速運ちゃんに交渉してみる。すると快く二台で片道1万円で引き受けてくれた。何し ろ淡路島の東の海岸から一番西まで行くのだから、普通であれば非常に運賃がかかるところである。すぐに車を出してもらい、西へ西へと向かった。
程なくして阿那賀海岸近くまできた。そう、阿那賀では海岸べりに巨大な地層が現れている。そこでも採れるのだが、一番手軽なのは海岸沿いを歩いて、適当な 石を拾うことである。と、とあるWebページにのっていたので、それ信じることにした次第である。記述どおり、車から降りて海岸に向かうと、すぐに巨大な 地層が姿を現した。いくらか貝を含んでいるようにも見えた。が、しかし。いけどもいけどもアンモはおろか二枚貝の姿すら見える気配もない。結局、小さな半 島を一つ回りこんできてしまった。化石は1つも採れずに、である。しかたないので歩くこと15分、元の場所に戻り、海岸沿いをひたすら腰をかがめながら歩 いていくことにした。

アンモちゃん

アンモちゃん

↑とあるHPで紹介されていた阿那賀で採れたというアンモナイトたち。
阿那賀海岸の化石は全体的に風化が激しく、完全体での採取は非常に難しいという。



1時間後。全く戦果なし。いくら歩いてもそれらしき石は見当たらず。ちょうど満潮の時であったことも相成って何も見つからないのである。行けども行けども あるのは普通の石ばかり。。。 半ばあきらめ、海岸沿いの道路を歩いていたその時!!!

アンモ像とてつもなく巨大なアンモナイト(プラビトセラスだったような気がする)を道路沿いに発見した。といっても、見つかったのは巨 大な金属性の像であった。 (左図参照)
うる覚えで描いた図であるので、多少異なるかもしれないが、かなり大きかった事をはっきりと覚えている。台座には石版がはりつけてあり、そこに淡路島のア ンモナイトについての記述があった。


※注!!
のちによくよく思い出した結果、像はプラビトセラスではなく、同じ異常巻きアンモナイトでもほかの種類であるディディモセラスであったこと が判明しました。
形も全然違います。ごめんね。


とにかく、このような巨大な像が立つほどだ。ここはさぞかし嘘のようにアンモナイトが採れてしかるべきなのだろう。我々にも運が向いてきた。場所を間違え てはいないことが確認できたからだ。これをおいて、アンモを持たずに帰ることなぞできようものか。地質班魂の血が騒ぐというものである。
しかし、すぐにでも次なる出撃をしたいところだが、腹が減っては戦ができないとの格言もある。とりあえずは昼食を採ることにした。
幸いなことに、馬場殿がガスコンロなる次世代ポータブル調理器具を持参していた。我々はそれを把握のうえ、材料をいろいろと持ってきておいたのだ。馬場殿 が持ち込んだものは袋麺に豆苗(とう みょう、かいわれ大根の大豆版のようなもの)及び水、私はキムチを持ち込んでいた。それをつかって、さあ、Let’s Cooking!袋麺(チャンポン)豆苗+と豆苗のキムチ炒めをみんなでありがたくいただいた。海風をあびながら食べる袋麺豆苗+はまた格別で、これから きたるであろう空腹を見事にくい止めた。
昼食後、再び海岸を歩きまわる。しかし、神は我々を見捨てたのか、全く一向にアンモはおろか化石の気配すらない。それでもがんばって探し続けた。AU氏ほ か余名がGBAに興じだすなか、がんばった。ふんばった。
しかし、時間は無情にも過ぎていき、ついに運ちゃんとの約束の時間、16時になってしまっ た。無念だけを胸に現場を去るしかなかった。収穫0という最悪の事態を悔いながらも明日に希望をはせた我々であった。 その夜は適当に夕食を食べTVを見 た後、早いところ眠りにつくことにした。その後に起こる惨事を、知るよしもなく・・・。


4日目

その朝。我々は起きて外を見た時、自分の眼を疑うしかなかった。
雨である。今回2度目となる雨が降っている。=これでは採集にいけない。4日目の今日は淡路島の中心に位置する広田広田(ひろたひろた、こ う いう地名であって、決して筆者のタイプミスではない)に赴こうと計画していたのだが。この日は2回目の雨とあって、みなさん脱力感にうちひしがれていた。 なにしろ出掛けないと何もすることがないので、部屋でゴロゴロする以外なんにもすることがない。脱力するのも仕方がないだろう。この日は結局、馬場氏と共 に洲本の中央図書館に向かうことにした。もちろん他にも参加者を募ったが、馬場殿と私しか参加の意向を示さなかった。他の方はTVとゲームと漫画に興じて いたようだ。
とりあえずいつものようにバスにのり、いつものように洲本バスセンターに向かう。そしてジャスコの横にある中央図書館へと向かう。入ると、あの図書館独 特の本のにおいが鼻についた。とりあえず雑誌などを適当に読みあさっていると、馬場殿が「淡路島の化石」なる本(洲本市の自費出版ぽい)を見つけ、それで 情報収集をしたりもした。そのあとジャスコによって晩飯、明日及び非常用の鍋焼きうどん(アルミ鍋つき)ほか馬場氏のガスコンロ用予備ガスボンベなどを買 い、昼過ぎに帰還した。帰ってからは由井氏ほかとTVをみたり、やっぱりゴロゴロしたりして過ごすのみである。味気ない一日はすぐに過ぎて、明日の晴れを 祈りながら眠るのみとなった。無念。


5日目

今日は起きた時から感極まった。なんと外が晴れている!
じつはもうあきらめかけていた。合宿を始めて4日。採集にいけたのはたったの1回だけだったからだ。1日目は移動日であったゆえしかたないが、雨に2回も 降られたのは非常に痛かった。そんな中、文字通り希望の日差しが我々をてらしたのだ。
そんなこんなできょうは、昨日図書館で見つけた本「淡路島の化石」にのっていた、同じく淡路島の西のほうにある、こまかい地名は忘れたが中野なるところに 行く事に決まった。お目当ては言うまでもなくアンモである。 バスで近くまでいけるということだったので、さっそく準備をし、おなじみ洲本バスセンターへ とむかった。
洲本からはとりあえず西へ行かなくてはならないので、福良バスセンターというところへ向かうことにした。ちなみに、広田広田はこのバスの経由 地にある。
福良バスセンターにつき、近くのコンビニで食料及び飲料などを購入した。そのあとすぐに目的地へ向かうバスを確かめる。しかし、それらしき場 所へ向かうバスは路線図に見当たらない。いやな予感がした。いやまさかと思いつつ、受付のおねーさんに聞いてみた。

「あの〜、中野という場所に行くバスはありますか・・・?」
・・・・
「・・・(数分間のブランク)・・・う〜ん、でてませんねぇ・・・」

またしてもか・・・。
いやな予感はやはり的を得たものであった。けっきょくタクシーで行く事にきまったのだ。
 幸い、そこの福良バスセンターではタクシーが10台ほどひしめき 合っていたので、すぐにみつけることができた。早速、交渉にかかる。申し合わせていたかのように、またもや片道2台で1万円で引き受けてくれた。いやい や、淡路の運ちゃんたちはどうも親切な人が多い。気が利くというか、融通が利くというか。とにかく右も左もわからない旅行者に対して親切なのだ。こういう 雰囲気によってこそ、化石採集の活発化が図られるのだ。ぜひとも全国の反地質班同盟の皆さんは見習っていただきたい次第である。
話が脱線したが、その親切な運ちゃんたちpart2によって我々は現場近くの車道までたどり着くことができた。
そこからは書籍にて情報を仕入れていた馬場 殿の記憶だけがたよりだったが、「えっとー、そこのちっちゃい橋を渡ってー、砂利道を右に曲がってー」などというかなり心さわりのある案内によって、我々 は採集現場(と思われる場所。本当かどうかはしらん)に到着した。
そこには確かに露頭があった。化石の露出はないが、いわゆる “いかにも” とゆう雰囲気の場所である。いくらか削ったと思われる箇所もあった。がぜんやる気が出てきた。が、とりあえずはいつものとおり腹ごしらえだ。ここでも馬場 殿、こりずにガスコンロを持参していたので、昨日買っておいたてんぷらうどんを作り、食べることにした。途中で部長ほかにからまれるなどのトラブルがあっ たが、無事昼食終了。いや、採集地で食べるごはんはまた格別の味がしますな。一昨日の海辺のチャンポンも然りである。

10分ほど休憩の後、早速採集活動 開始。とりあえずハンマーは置いといて、様子を探ることにする。みたところ我々がいる砂利道に面するこの露頭しか採集点はなさそうである。しかし、砂利道 を少し奥に踏み込んでみると、山の中に通ずると思われる獣道とも呼べないほどの道があった。ちょうど桜口谷(山口県)の入口(?)に似ている。逆井氏、馬 場殿と共に入って奥地に踏み込んだところ、その中にも露頭がいくつかあった。
 一通り散策が終わったあとで、私は元の地点に戻りハンマーで破壊活動を 行うことにした。しかしながら、いつもの通りなんにも出ない。くずしてもくずしても砂・砂・砂・・・。腐ったようなサンドパイプ(直径7mm)が数本出て きたのみで、アンモナイトなんてかけらすら見つかる気配もない。しばらくしたら飽きてしまって、その露頭のがけを登ったりして遊んでいる輩もいるしまつ だった。そのなかに私も含まれているわけだが、閑話休題、例の山への入口にはいってゆくことにした

山の中に存在している露頭はかなり険しかった。そこにいくのも一苦労。やっと登っていくらか掘るものの、おなじく気配なし・・・。いったいぜんたいどうし たものだろうか。6日間の合宿にもかかわらず、5日目の今日は採集二日目。しかも収穫いままでゼロというあとにひけない条件のなか、更に今日も収穫なし。 これではまったく淡路まで遠征した意味がない。なんとしてでも、かけらであっても持って帰らなければ。しかし、やはり場所を間違えたか、だれもいままで一 つも採れていない。・・・
完全にあきらめムードが漂い始めたそんな中、吉報が飛び込んだ。なんと馬場殿が山の奥にてアンモナイトの破片らしき物体を拾ったらしい。現場に早速急行。 見せてもらうが、・・・
・・・う〜ん、微妙。ただの石に見えないこともないが、確かにいわれて見ればすこーし印象が見えるかな・・・というものであった。しか し、いままで阿那賀においても収穫0だった我々にとっては、とても興味深いものだった。

そののち、馬場殿と共に山に登ったりして遊ぶ。景色が壮観だった。 
そうこうしている間に運ちゃんとの約束の時間、16時に近くなってしまった。化石を一 つももつことなく、私は食いと無念と無常さにうちひしがれながら現場をあとにする・・・。
その後、運ちゃんに福良バスセンターどころか、宿まで送ってい ただいた。しかも、途中にジャスコにての買い物をはさんでである。普通なら買い物の間待機料金を取られるところだが、そこはサービスしてくれた。やはり淡 路の運ちゃんは親切だ。30分ほどの買い物をはさんで、我々は無事民宿まで帰りつくことができた。

宿での最後の夜であるその夜は、感銘を受けずにはいられない出来事が起こった。
 部屋に宿の主人が現れたかと思うと、「あんたら、最後にてんぷら食ってくか?(関西弁のニュアンス)」と言ってくれたのだ。第一この民宿 はぎわらというと ころは、一番の自慢は料理である。宿の主人が、その日の朝自らとってきたとれたての瀬戸内海の幸を豪快にさばいて夕食としてごちそうしてくれる、それが魅 力の宿であったのだ。
しかし、今回我々は「持ち金がない」という理由により素泊まりとなっていたので、寝床を貸してもらう、風呂を貸してもらう以外の恩恵 は、部屋の掃除くらいしかうけておらず(それでも我々はかなり感動したのだが。)、自慢の料理というものをちょうど食べてみたかった。そのときに飛び込ん できた願ったり叶ったりの吉報にみな大変喜んでいた。

しかし、1階の食道におりた我々は驚かずにはいられなかった。なんと、そこにはてんぷらばかりか、人数分の宿の自慢の料理一式が、すばらしい香りと共に我 々を迎えてくれたのだ。うれしさのあまり泣きたくなった。なにしろみなこの5日間、カップめんやジャスコで買ったお惣菜、おにぎりなどばかり食べていて、 極度の栄養失調におちいっていた。私や部長、馬場殿にいたっては野菜不足のあまり、でっかい286円お買い得漬物を割り勘して買い、とりあいしながらボリ ボリ食べていたほどだ。そんな我々にとって、1週間ぶりにみるまともな飯に涙を流しそうになるのも当然だろう。
その時の感銘と驚きと喜びに満ち満ちた表情 で突然の出来事に戸惑う馬場君を私はいまでも忘れることができない。そのごはんのおいしいことうまいことすばらしいこと。人生のなかでこれほどおいしいと 思った飯はなかった。 もちろん、刺身のつままでしっかり完食し、気のすむまで主人と女将にお礼を言った。淡路の人々の暖かさに触れた一夜であった。
予期 せぬ出来事により、今日の夜用にと買っておいた中華そばアルミ鍋つきが不要となってしまった。 おかげでその夜は最終日に備えるべくぐっすりと眠ることが できた。


6日目

ついに最終日。今日で長かった合宿も終わるのだ。
今日の天気は・・・う〜ん、雨がふりそうなふらなさそうな、どうも半端な曇りである。2回の採集での収穫 0にすっかりやる気をなくしていた私は、今日の採集はやめることにした。逆井氏と馬場殿は行く行くと言い張っているが、勝手にやらせておこう。というわけ でさっさと帰還準備をし、部屋のかたづけをして、いつでも出れる体制にした。宿の人に厚くお礼を行って、午前10時ころ、宿を出る。そして土生川から洲本 バスセンターに出た。そのまま、部長と馬場殿は4日目に行く予定だった広田広田に出掛けていった。私たちは毎度おなじみジャスコで時間をつぶすことにす る。舞浜に向かうバスは2時過ぎに出るのでかなり時間がある。それまではやはりいつもどおり立ち読みである。
適当に昼飯を食べ、さらに立ち読みしていたところ、後ろから逆井氏に襲われた。広田広田から帰還したようである。どうやら、あっちでは採集地がどこかよく わからず、さんざさまよい歩いていたらしい。もちろん収穫はゼロ。ま、地質班らしいといえばらしいが。やはりいかなくて正解だったようだ。

その後はトラブルなく舞浜への高速バスにのり、舞浜からは行ききた道のりをそのまま反対に向かい、寄り道することなく夜八時頃無事に名古屋に帰還すること ができた。
無収穫と、多くの感動、悲愴、人情を胸に、平成16年度春季合宿はついに終りを告げたのであった。



え、2つほど採集記を書きました。ほんとは金生山と瑞浪も書く予定だったんですが。紙面と時間の都合上はぶきました。それでもぎりぎりだったけどね。
ま、我々地質班はこれからも懲りることなく、怪我にも悔いることなく、採集に向かうでしょうな。ちっといまの後輩では新たなる地を切り開けるかどうか心配 ですが。参謀の私としては次期参謀予定の中野JR.くんに頑張っていただきたいところです。
あと、こないだの金生山での採集で方解石をとろうとした中3のY氏(本文権現谷編にも登場)が石に指はさんで大怪我したそうですから。みなさん怪我にはく れぐれも気をつけてくださいまし。じゃ、いずれまた。 
2004/09/23 0:38